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次回英文(第16回)
‘—but I shall have to ask them what the name of the country is, you know. Please, Ma’am, is this New Zealand? Or Australia?’ (and she tried to curtsey as she spoke—fancy curtseying as you’re falling through the air! Do you think you could manage it?)
メモ① antipathies あるいは antipodes
動画内で説明した通り、アリスが口にした “antipathies(反感)” という語は “antipodes(対蹠地/対蹠地住人)” の言い間違えであると考えられます。動画内の訳例では「アンティパシーズ」とカタカナでにしていますが、訳書では各訳者がいろいろと工夫しています。実際にいくつか見てみましょう。なお、引用文のルビはカッコ、傍点は下線で代用しています。
[原文]The antipathies, I think—’ (she was rather glad there was no one listening, this time, as it didn’t sound at all the right word)
対庶民(たいしょみん)とか言うんだっけ――」(今度ばかりはだれも聞いてなくてほっとしました。だって、この言葉、すっかりまちがっていておかしいような気がしたんです。)
河合祥一郎訳(角川文庫)
退席地(たいせきち)っていったかしら――」(今度は誰も聞いていないのでむしろほっとして、というのもこの言葉はどうも正しくなさそうだった)
柳瀬尚紀訳(ちくま文庫)
たしかツイセキチュウとかいうのよね――」(ヒヤヒヤ、こんどばかりはだれにも聞かれないでよかった。このことばはどうみても怪しげだもの。地球の正反対側のことなら対蹠地(たいせきち)じゃないか)
矢川澄子訳(新潮文庫)
たいきょくけんっていうのよね、たしか――」(今回はだれもきいていなくてよかったとおもいました。言ってはみたものの、なんかぜんぜん、それらしく聞こえなかったから)
柴田元幸訳(『ユリイカ』2015年3月臨時増刊号)
反対人(はんたいじん)っていったとおもうけど――」(こんどはだれも聞いていなくてアリスはほっとしました。少しちがっているような気がしたからです。ほんとうは、反対人ではなくて対蹠人(たいせきじん)というのです)
高橋康成・迪訳(河出文庫)
アリスの「言い間違い」であることを訳書の読者に伝えつつ、本来言いたかったであろうことばを連想/理解させるのはなかなか難しいですね。翻訳者がどのような意図で訳語を選択したのかを考えてみるのも面白いと思います。
なお、「対蹠人」というものが中世ヨーロッパにおいてどのような存在であったかのかについては、以下が参考になります。
「対蹠点」とは自らの存在する地表上の場所から丸い地球の中心を通って反対側に突き抜けたところの地表点を指す。その場所にいる「対蹠人」はラテン語ではアンティポデス(antipodes)といい、これを文字通りに訳すと、「足を反対にむける者」という意味になる。大地の裏側に立って、表側の人間に足を向ける者の謂いである。しかしながら、ヨーロッパの中世では、この「対蹠人」の存在を考えることは異端とされた。例えば、745年頃、ザルツブルクの司教フィルギールは、マインツの大司教ボニファティウスによって異端の疑いありと宣告されたが、それはほかでもなく、フィルギールが対蹠人の存在を信じたためだったという。
なぜ異端の烙印を押されようとしたのか。それというのも「対蹠人」の存在は、地球がいかなる姿をしているのか、そしてその地球はどのような場所にあるのか、という宇宙論とそもそも関係のあることだったからである。3世紀末から4世紀初頭にかけて活躍したキリスト教の神学者であるラクタンティウスは、地球が球形ではありえず、平坦であるという前提のもとに対蹠人などは存在しないとした。平坦な地面の裏側に足を反対向きにして立つ人間などは存在しようがないというのである。4世紀初頭のこの考え方は、その後も影響を保ち続けた。
坂本貴志 『〈世界知〉の劇場』 ぷねうま舎 2021 pp.13-14